2001年鍼灸専門学校の教員資格を取得
2014年/2015年女性ホルモンバランス療法協会で、協会代表として会員に治療技術のセミナー開催
2014年伊香保合宿セミナーにおいて治療技術セミナー講師を担当
2014年栃木県鍼灸師会で鍼灸師向けセミナーの講師を担当
国家資格・鍼灸あん摩マッサージ指圧師
鍼灸あん摩マッサージ指圧師養成学校教員資格
後藤学園中医学研究所・客員研究員
米国NLP協会認定プラクティショナー
医道の日本 平成24年5月号
医道の日本 平成24年6月号
医道の日本 平成24年7月号
いせさき新聞 平成23年2月
鍼灸ジャーナル 平成20年11月
初めまして!
大成堂中医針灸院 院長の藤田勇です。
鍼灸治療は、人対人の要素が強い治療です。いくら高い技術があっても、人間としての相性というものが重要になってきます。
そこで、ここでは、私自身のことをできるだけ知ってもらいたいと思い、できるだけ詳しく、正直に自分のことを書いてみたいと思います。
小学生の時は肥満児で、野球の好きな少年でした。
健康に関心をもつ変わったところがあり、たばこやお酒は身体に悪いと、声を大にして親に言っていた記憶があります。
中学生になって野球部に入ると、急速に痩せ始め、運動神経が良くなりました。
マラソン大会では、小学生の時にはいつもビリから2、3番でしたが、中学生になると、前から10位以内になり、同級生を驚かせたことがありました。
中学二年の時でした。
近所の良く行く本屋で、たまたま手に取った雑誌に気功の記事が載っていました。
その雑誌を読んだ時に、私の運命は決まってしまったのでした。
当時(今から四半世紀前)、気功はまだ全く知名度のない存在でしたが、その記事にあった、気を使って触れずに病気を治す人達のことが、私にはとても印象強く、心に残ったのでした。
そんな世界があるのかと驚いた私は、そのような人に自分もなりたいと思い、すっかり「気の世界」に魅了されてしまいました。
気の世界に魅了された私は、気について書かれた本を読むようになり、その中の一冊に、「仙人になる方法」という本がありました。
仙人とは気の使い手で、気功とは仙人になる修行からできたものだと、書かれていました。
それを読んだ私は、本気で仙人になりたいと思ようになっていました。
その後、高校生になって自分の進路を考た時、気の医療の使い手である鍼灸師という職業に自然にたどりつくこととなったのです。
鍼灸の専門学校に入って、思う存分、気の世界に浸りたいと考えるようになりました。
しかし、人生はそんなに甘くはありませんでした。
当時、鍼灸の学校は、現在とは違ってかなりの狭き門でした。
落第し、浪人の身となってしまいました。
しかし一年後、今年こそはと臨んだ試験でも、またもや不合格。
さて、どうしたものかと考え、本場の中国に行こうという結論になりました。
それならまずは中国語の勉強だと、中国語の専門学校に入学しました。
学校で中国語の勉強をしながら、アルバイトをして留学費用を貯め、中国の大地に思いを馳せていたのでした。
中国語の専門学校を卒業した後、北京に語学留学をしました。
一番の目的は、気功を修行をすることです。
北京には、日本でも名の知られた気功の先生がいて、その先生に気功を習おうと決めていました。
ところが、です。お目当ての先生を訪ねていくと、アメリカに行ってしまっていました。
しかも、もう帰ってこないだろうと言うではありませんか。
失意の中、これからの留学期間をどう過ごそうかと悩みました。
そんな時です。
張偉一という老師とめぐり会い、ひょんなことから陳式太極拳を習うことになりました。
張老師は、文革の時代に紅衛兵と戦った経験のある猛者で、脇腹の刀傷を見せてもらったことがありました。
学校の授業は午前中のみだったので、その他は、明けても暮れても太極拳という生活を二年間過ごしました。
二年間の留学期間を終えて日本に帰って来ると、浦島太郎状態でした。
留学前はバブル景気の絶頂だったのが、見事にはじけています。
せっかく留学までしたのだから、中国語を使った仕事をしたいと思っても就職口がありませんでした。
その時です、それまで胸の中にくすぶり続けていた、鍼灸師への道に対する思いが再燃したのでした。
その当時も、まだ狭き門には変わりありませんでしたが、ラストチャンスだと思って目指すことにしたのです。
一年間の準備をして、受験に挑むことにしました。
今までに、何度も鍼灸学校の受験に失敗をしていたので、一年間の準備をしても、合格できる自信がありませんでした。
その時にジョセフ・マーフィー博士の本に出会ったのです。
それは、思いは現実化するという内容で、潜在意識に働きかけて、願望に向かって努力を重ねていくと、必ず(ここが重要!)実現するというものでした。
はじめは半信半疑でしたが、どうしても受験に合格したい一心で、本に書いてあることを実践してみることにしました。
必ず合格すると強く思いながら受験勉強を続け、一年後、運命の時がやってきました。
今まで、何度も何度も受験に失敗していて、鍼灸学校の受験に合格することは、私にとって、とても大きな壁として立ちはだかっていました。
でも、マーフィー博士の教えを信じ、実践したことで、なんとも、すんなりと合格をしてしまいました。
この時、私は心と物質世界の関連性に目覚めたような気がします。
今ふり返ると、このことを通じて、
私は、治療家として患者さんの身体にだけ目を向けるのではなく、
患者さんの心のあり方も重視するきっかけになったのだと思うのです。
夢にまで見た鍼灸師への道です。学校も授業も楽しくてしかたありませんでした。
それまでの学生人生で、一番勉強に没頭した時期かも知れません。
そして三年後、国家試験に合格し、晴れて鍼灸師になったのでした。
めでたしめでたし・・・ではなかった!
ここから、鍼灸臨床家としての道がスタートしたのです。
現在、鍼灸師となって10数年。
ここまでの道のりにも、さらに、さまざまな紆余曲折がありました。
このパート2では、そのお話しをしたいと思います。
Coming Soon:今しばらくお待ちください!
私が東洋医学の世界に興味を持ったのは、小学生の時に見た韓国ドラマがきっかけです。
そのドラマで鍼を使って人を助けたり身体の痛みなど、様々な症状の人を治し、患者さんから感謝されているのを見ていいなと思い、鍼灸師を目指しました。
その頃は漠然として憧れていましたが、その後もドラマでたびたび出てくる鍼治療の奥深さに魅了されていきました。
また、身近な家族がいつも身体のどこかが痛いと言っていて小さい頃からよくマッサージをしていたので、その経験からも人の辛い症状を治すことのできる鍼灸により一層興味を持ちました。
本格的に鍼灸師を目指し、専門学校に入学し学び始めました。興味を持っていた東洋医学系の科目はすんなり頭に入りましたが、解剖・生理学など西洋医学系は苦手で大変苦労しました。
学生生活は想像以上に大変でしたが無事に卒業して国家試験に合格することができました。
小さい頃から憧れていた鍼灸師となり、刺さない鍼との出会いによって患者さんのお役に立てていることに喜びを感じています。
常に新しい知識や技術を求めて日々研鑽し、患者さん一人一人に寄り添い満足していただける鍼灸師になっていきたいと思っています。
私は腰椎椎間板ヘルニアの痛みで長年苦しんでいました。
病院を十数ヶ所と周りましたが痛みを理解してもらえず、注射や点滴で一日入院や薬だけ出されて様子を見てくださいと言われるだけ。
もうこの苦しみから救われることはないのかと絶望していたところ、友人に良い鍼灸の先生がいると紹介されて尋ねてみると、何回か通って治療を受けているうちに痛みがなくなり、ほとんど痛みを感じないまでに回復することができました。
とても衝撃を受けました。
今までの苦しみはなんだったのだろうかと。
それからです、自分もその先生のように人の痛みや苦しみと正面から向き合い、解決に導く手助けをしたいと思うようになり、鍼灸師を目指すようになったのは。
鍼灸の専門学生時代には、ずっと興味を持っていた国際ヨガインストラクターの資格も取得して、東京のヨガスタジオで指導する経験もできました。
私自身がその辛さを経験したこと、そしてヨガを中心に日常生活でのアドバイスができること、この強みを活かして多くの方々の悩みを解決する手助けができるよう、一人ひとりに寄り添い施術をしていきたいと思っています。
(昼休み13:30~15:00は電話がつながりませんので、LINEかメールをご利用ください)
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